13世紀高麗時代、これまで明かされていなかった「空白の時代」

歴史年表

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用語解説

Glossary

武臣政権とは?

文臣に比べて劣悪な待遇に不満を持った武臣が1170年、文臣を皆殺しにする反乱を起こした。チョン・ジュンブ(鄭仲夫)やイ・ウィバン(李義方)ら武臣は、武力を背景に王の廃位・擁立までも行い、文臣に代わって自ら政権の運営に乗り出したが、武臣間での内部対立で執権者がたびたび入れ替わり、社会は混乱を極めた。1196年に政権を握ったチェ・チュンホン(崔忠献)は、自身の私兵集団を組織して都房(トバン)を設置し、強固な権力基盤を築くことに成功した。以後、4代にわたって世襲による崔(チェ)氏政権が成立するが、1258年に崔氏の家僕だったキム・ジュン(金俊)によって倒され、その後1270年に武臣政権自体も崩壊した。

八万大蔵経とは?

高麗は仏教を国教としていた。度重なる異民族の侵攻から仏の力によって国家を守るため、仏教経典の集大成である大蔵経の木版印刷が進められた。契丹の侵攻に苦しめられていた1011年に、大蔵経の制作が始まったとされ、何十年もの歳月をかけて完成した。しかし、この初雕大蔵経は1232年、モンゴルの侵入の際に焼失してしまう。その後1251年に再制作された大蔵経が、今日まで現存しており、海印(ヘイン)寺に収納されている。8万枚以上もの版木からなるため“八万大蔵経”と呼ばれ、ユネスコ世界の記憶にも指定されている。最初の大蔵経制作開始から1000年経ち、本ドラマはそれを記念する意味で制作されている。

撃毬(キョック)とは?

古代ペルシアが発祥の、馬に乗って行う伝統球技の一種で、現在のポロも同一起源。馬に乗って、杖匙と呼ばれる棒状の用具で球を打ち、毬門と呼ばれるゴールに入れれば勝ちとなる。朝鮮半島へは統一新羅時代に伝わったと見られ、武芸の一種として発展した。特に武臣政権期には、武芸の修練の一環として盛んに行われており、チェ・ウ(崔瑀)に関する記録では、近隣の民家数百戸を破壊して広大な撃毬(キョック)場を建設し、そこで数日間におよぶ撃毬(キョック)大会を催して、才能のある者にはその場で官職を授けたと記されている。こうした記述を活かして、ドラマではキム・ジュンが奴隷身分から出世する様子を劇的に描いている。

対モンゴル戦争とは?

13世紀初め、チンギス・カンが諸部族を統一してモンゴル帝国を建国し、征服戦争に乗り出した。高麗とモンゴルは、高麗領内に侵入した契丹軍討伐のため、連合軍を結成したのをきっかけに関係が始まったが、その後モンゴルは高麗側に過度の要求をするなど関係が悪化、モンゴルの使者が帰国途中で殺害されたのを口実に侵攻を開始した。高麗は開京(ケギョン)〈現在の開城(ケソン)〉から江華(カンファ)島に遷都して、騎馬兵中心で海戦に弱いモンゴル軍から身を守ることに成功したが、本土は蹂躙され多くの文化財も失われた。開戦から30年近く経った1259年、高麗はモンゴルに降伏を決定。以後、高麗はモンゴルの支配下に置かれることとなった。

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